2009年05月17日

(129) BRICSの2兄弟

5月16日(土)に開票されたインド下院総選挙は、与党が予想を上回る得票で圧勝した。543議席対象の中で、過半数の272議席に迫る260議席を獲得した。

これでインドは次の5年間、不安定な連立政権の駆け引きから開放され、本格的な経済改革とインフラ建設を通じ、国民全体の底上げに集中する体制ができた。

僕はインドとブラジルを観察するに、つくずく、「似ているな」と思う。最も似ていないことを挙げたほうが手っ取り早い。

デリーとサンパウロは内陸に位置する中核都市(デリーは首都だがサンパウロは経済首都)で、ムンバイとリオは海岸に位置する自由と商売と芸術の街だ。特にデリーからムンバイに日中飛行機で飛ぶと、急斜面の山が迫って、若干自由な雰囲気が機内に漂う感じが、とてもリオと似ている。しかもムンバイの長い湾曲した海岸もリオににている。一番の違いは、リオの海岸にはビキニの女性が歩いているが、ムンバイには犬が歩いていることだ。

話が飛んだが、今のインドは、1998年10月4日に、当時のブラジル大統領のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)が、ブラジル史上初の民主的な方法で再選を果たした時の雰囲気にとても似ている。これから5年のマンモハン・シン首相はソニア・ガンディーとコンビを組んで、本当の「仕事」してくれると期待する。

FHCとマンモハン・シンの二人は赤い糸で繋がっているのではと思ってしまう。ブラジルが超インフレでめちゃくちゃな経済状況だった時、FHCが蔵相に抜擢され、1993年にレアルプランを導入し、見事にインフレを退治してからブラジルの本格的な改革が始まり、世界がそれを認めることになった。その後FHCは当時の功績が認められ、1994年10月3日に大統領に初当選し、二選目の後、2003年に野党のルーラ(現大統領)に政権を譲った時には、ブラジルは押しも押されもしない大国に成長しており、万年野党であったルーラでさえ、FHCの政策を几帳面に踏襲することになった。

マンモハン・シンも奇しくも同じタイミングで蔵相になり、1991年にインドに外貨準備高が底を尽き、貿易が出来ないくらいな悲惨な状況下で、これまでのどんな政治家も実施できなかった改革を実行した。1991年はインドの経済的な独立記念日と呼ばれている。結果、2004年に首相に選ばれ、FHCが取ったのと近い手法で、経済開放、民営化、インフラ建設の路線を築いてきた。

インドの方が2年早く国の路線変更を行ったが、再選を果たして安定成長の道筋をつける為にはインドはブラジルより10年余計に時間を要している。これは2億人対11億人と、6倍近い国の規模の違い、政治的な複雑さの違いが理由かもしれない。

また、機会があったら2つの国の「兄弟のような相似性」について考えてみたい。良く似てます。



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